「気づいたら、またやってる。」
子どものころに遊んでいた人も、そうでない人も。
一度プレイすれば忘れられない中毒性を持つゲーム、それが『ドクターマリオ』です。
今、最新のゲームが4Kやフルボイスで進化を続ける中、30年以上前のこのパズルゲームが、なぜこんなにも人の心をつかんで離さないのか――。
その理由を、自分自身の“ハマり体験”とともに振り返ってみたいと思います。

夢に出るほど中毒に――『ドクターマリオ』はなぜ人を虜にするのか?

最初はちょっと試しに遊んでみるだけのつもりだったんです。
Switch Onlineの特典でファミコンのゲームが遊べるようになって、と何気なく起動しただけのはずが……
そこから、気づいたら毎日やってました。
最初はもちろん、あまりうまくできませんでした。
ウイルスにカプセルをぶつけようとしても、うっかりずれてしまって変なところに落ちたり、縦横を間違えて配置してしまったり。
でもそれが逆に悔しくて、「次こそは!」と再挑戦。
ゲームオーバーになっても、なぜかまた最初からやってしまう。そんな感じで、どんどん沼にハマっていったんです。
『ドクターマリオ』とは?
『ドクターマリオ』は1990年にファミコンで発売された落ち物パズルゲーム。
マリオが“お医者さん”になり、カプセルを使ってウイルスを退治していくシンプルなルールが特徴です。
中毒性のあるゲーム性と、耳に残るBGMが多くのファンを魅了し続けています。
ドクターマリオのプレイが生活の一部に
いつのまにか、1日1回プレイしないと落ち着かないようになっていました。
頭の中ではずっと、あの「Fever」のBGMが流れっぱなしで、夢の中でもプレイしていたりして(笑)。
ドクターマリオって、ゲームの内容としてはすごくシンプルなんですよね。
上から落ちてくる赤・青・黄のカプセルを動かして、ウイルスと同じ色を縦か横に3つ並べて消すだけ。
ルールは単純、でもやってみると意外と奥が深い。
失敗したときは、「自分のせいだな」って思えるし、うまくいったときの爽快感がすごく心地いいんです。
特に、連鎖で一気にウイルスが消えたときなんて、思わず声が出ます。
最終的には、レベル20・スピード「HI」が自分のホームポジションになっていました。
もう何も考えずに、ただ無心でカプセルを操作し続ける感覚。
ときどき「ゾーン」に入ったみたいに集中できる瞬間があって、そのときはカプセルのスピードがゆっくりに感じるんです。
不思議ですよね。
そんなふうに、ただのゲームのはずなのに、だんだんと生活の一部になっていって、「今日の調子はどうかな」みたいな感覚で毎日プレイするようになっていました。
気づけば、プレイできない日が来るのがちょっと怖いくらいになっていたんですよ。
それってもう、完全に中毒ですよね(笑)
FeverかChillか、それが問題だ――中毒性がある最高のBGM

ドクターマリオをプレイしたことがある人なら、一度はぶつかるであろう永遠の問い――
BGMは「Fever」派?「Chill」派?
知らない人はいない「Fever」と隠れた名曲「Chill」
私はというと……正直、最初はBGMを変えられることすら気づいていませんでした(笑)。
デフォルトで流れるのが「Fever」なので、自然とそれが「ドクターマリオの音楽」って認識していたんです。
でも、ある日ふとオプションを見て、「えっ、BGMって選べるんだ?」と衝撃を受けました。
そこから「Chill」もちょこちょこ試すようになったんですが、やっぱり「Fever」のあのノリの良さには抗えない!
あの妙にクセになるリズムと、ちょっと軽快すぎるくらいの音色。
頭の中で無限ループしだすと止まりません。
プレイしていない日でも、脳内BGMとして「Fever」が鳴り続けていましたね。
一方で、「Chill」も独特の魅力があるんですよね。
その名の通り、ちょっとクールで、落ち着いた雰囲気。
テンポもゆるやかで、「今日はゆっくり脳トレ的に遊びたいな」っていう時にちょうどいい。
だから私は、普段はFever、でも気分転換にChillという使い分けで楽しんでいました。
令和の今だからこそ、素晴らしさを再認識
今の時代のゲームって、BGMを選ぶっていう要素があっても、「どちらも豪華で劇的」みたいな方向にいきがちだと思うんです。
でもドクターマリオのBGMは、たった二曲。
それもものすごくシンプルな構成なのに、ずーっと聞いていられるんです。
しかも、プレイしている時の気分とBGMがちゃんとリンクしてくる感じもあるんですよね。
焦ってる時のFeverはさらに焦らせてくるし(笑)、集中してる時のChillはむしろ集中力を引き出してくれる感じがする。
音楽ひとつでプレイ体験が変わるって、やっぱりゲームとしての完成度が高い証拠だと思います。
そしてこの「どっちのBGMでプレイするか」で、その日の気分まで分かっちゃうのも面白いですよね。
「今日はFeverしか勝たん!」なハイテンションの日もあれば、
「Chillでまったり楽しもうかな……」っていう静かなやる気の日もある。
まさにこれは、「音ゲー」ではないけれど、BGMがプレイヤーの心理に与える影響まで考え抜かれた設計なんじゃないかと、今になって改めて思うんです。
ゲームの演出とかシナリオとか、派手さで魅せるものもたくさんあるけれど――
ドクターマリオはたった2曲で、プレイヤーの心を掴んで離さない。
それってもう、令和の今だからこそ逆に刺さる「ミニマル美学」なんじゃないでしょうか。
操作がすべてを決める――私とHIスピードとゾーン体験

ドクターマリオの真の魅力って、“操作感の快感”にあると思うんです。
もちろん、見た目の可愛さとか、音楽の中毒性も素晴らしい。
でも、私がドクターマリオにここまで本気になれた理由は、「操作次第でどこまでも上達できる」と実感できたから。
なにしろこのゲーム、“自分の手”と“頭の中”だけが頼り。
ぷよぷよみたいに複雑な連鎖を仕込む必要もないし、テトリスほどスピードや形の把握に追われるわけでもない。
それなのに、「カプセルを落として、ウイルスを消す」――
ただそれだけのことが、なぜか、無限に奥深い。
「ゾーン」に入る感覚
特に印象的なのは、スピード設定を「HI」にした時の感覚。
初めて「HI」を選んだ時は、正直パニックでした(笑)カプセル落ちるの早すぎない!?って。
でも、慣れてくると逆に「HI」じゃないと物足りなくなるんです。
これ、不思議なんですけど、調子がいいとカプセルがゆっくりに感じる瞬間がある。
まるで時間の流れが変わったような――
そう、“ゾーン”に入る感覚。
あの時は本当に、自分がちょっとスゴイ人になったような気がしてました(笑)
指が勝手に動いて、考えるよりも先にカプセルがスッと所定の位置に滑り込む。
ウイルスを消すためのラインが、頭の中に勝手に浮かび上がってくる。
どこに置けばどう消えるか、組み立てが一瞬でできる。
そしてまた、あの「カプセル回転音」の手応えが気持ちよくて……!
上手く繋がってウイルスが消えると、脳がじわーっと快感を覚える。
もはやアクションゲームに近い感覚。
この操作感の積み重ねが、ドクターマリオの中毒性を高めているんですよね。
スピードが上がれば上がるほど、失敗も増えるけれど、成功した時の喜びはもっと大きい。
だからつい、「次こそはもっと上手くやれるはず」とリトライしたくなる。
人生をかける、自分との闘い
しかもこのゲーム、一人で遊ぶのが基本なんです。
他人とスコアを競うわけでもなく、ストーリーを追いかけるわけでもない。
だからこそ、「うまくできた・できなかった」という結果のすべてが、“自分の操作にすべてかかっている”っていう感覚に繋がってくる。
それが、ある意味では厳しくて、そしてめちゃくちゃ楽しい。
ゲームの面白さって、複雑なシステムとか、ボリュームの多さとかじゃなくて――
こういう、「自分が操作している」っていう実感がダイレクトに味わえることなんじゃないかって思うんです。
令和の今、AIが相手をしてくれて、オートプレイも当たり前になってきたゲームの世界で、自分の指で、自分の脳で、ここまで勝負するゲームがどれくらいあるのでしょうか?
ドクターマリオを遊んでいたあの頃の私は、間違いなく全力で、本気で、あの操作に人生をかけていた。
……って言うと大げさだけど、あながち嘘でもない気がします(笑)
お母さんたちがハマる理由――今ならわかる

「ドクターマリオって、お母さんがハマるゲームだよね」
そんなふうにネットで言われているのを、前からなんとなく知っていました。
実際に、昔の家庭では“ゲーム=子どもの遊び”というイメージのなか、なぜかお母さんだけはドクターマリオだけはずっとやっていた、という話もよく聞きます。
でも、あの時はまだピンと来ていなかったんです。
それが今、自分ががっつりハマってしまった今だからこそ、はっきりわかるようになりました。
スキマ時間でプレイできる
ドクターマリオは、短い時間で遊べるんです。
5分あれば1プレイできるし、失敗してもすぐリトライできる。
やることはシンプルで、「ウイルスを消す」ただそれだけ。余計なチュートリアルも、複雑な物語もない。
思考と反射とちょっとした工夫だけで、ちゃんと遊びとして成立する。
これってつまり、日々の中で“すき間時間”がある人にぴったりのゲームなんですよね。
家事や育児、仕事の合間。
ほんの10分で達成感が得られて、すっきりする。
「自分のペースで、自分のためだけに集中できる時間」がそこにある。
それって、忙しい人にとっては本当に大事なご褒美時間なんです。
しかも、失敗しても誰のせいでもない。
誰かに責められることもない。
「自分で操作して、自分の判断でうまくいったり、失敗したりする」。
言ってみれば、全部自己責任の世界。
だからこそ、うまくいったときの快感はひとしおだし、うまくいかないときも、悔しさが素直に次の挑戦につながる。
ああ、この感覚、ハマるわけですよ……。
これまで“お母さんのゲーム”とどこか他人事に思っていたけれど、実はとても合理的で、気持ちにフィットするゲームだったんですね。
ゲームになじみがなくても
そしてもうひとつ驚いたのは、ゲーム初心者でも自然に遊べるようになる作り。
落ちてくるカプセルを左右に動かして、回転させて、同じ色を並べて消す――
ただそれだけ。
プレイしていくうちに自然と法則が見えてくるし、慣れればコンボも狙える。
遊ぶたびにちょっとずつ上達する感覚も味わえる。
子どもにも、大人にも、お年寄りにも。
説明書を読み込まなくても感覚で遊べる、“直感に寄り添ったデザイン”がドクターマリオにはあります。
ほんの数分でいい、ウイルスをきれいに消して「スッ」と気持ちが軽くなるその感覚。
お母さんたちが、あのゲームに癒されていた理由。
ようやく、ちゃんとわかりました。
フルボイスも4Kもいらない――『ドクターマリオ』はすでに完成していた

ゲームの世界は、年々すごい進化を遂げています。
映画のような4Kグラフィックに、豪華なフルボイス、数百時間のボリューム、緻密な物語……
まさに総合芸術。
でも、そんな今だからこそ、私は声を大にして言いたい。
ドクターマリオは、すでに完成していた。
無駄がなく完璧なゲームデザイン
たとえばドクターマリオの容量は、ファミコン版でたった64キロバイト。
今のゲームがギガ単位であることを考えると、あまりに小さく、簡素に思えるかもしれません。
けれど、その中には、
・色の組み合わせだけで構築されたシンプルなルール
・計算されたスピード感
・中毒性のある音楽と効果音
・そして、無限に遊べる“気持ちよさ”
これらが、まるでパズルのピースのように、ぴったりはまって収まっているんです。
余計なものを削ぎ落とし、必要な要素だけが残された結果、そこには美しささえ感じるほどの“ゲーム性そのもの”が残っています。
現代のゲームを遊んだあとにドクターマリオをプレイすると、「説明が何もなくてもすぐに入っていける」ことに驚かされます。
起動して数秒後にはプレイが始まり、カプセルを動かし、色を揃える。
ただそれだけで脳が活性化して、心がスッと集中モードに入っていく。
気づけば無心。
時間の流れが遅く感じられるあの感覚。
自分の中のロジックと直感が同時に働き、「今ここ」に没頭している感覚。
これはもう、脳トレでもあり、瞑想でもあり、ゲームの原点でもあるように思えます。
もはや芸術作品
もちろん、ストーリー性やビジュアルが充実したゲームも大好きです。
でも一方で、ドクターマリオのような“本質だけで成立するゲーム”の存在には、今だからこそ特別な価値を感じます。
豪華さが当たり前になった令和の時代に、“いらないものが一切ない”ドクターマリオの美しさにふれると、私はふと、こう思うんです。
「ゲームって、こんなに小さくて、すごかったんだ」
さいごに――令和の今こそ『ドクターマリオ』を語る

『ドクターマリオ』を知っている人は多いと思います。
でも、“語る”人はあまりいない。
プレイの記録は残っても、思い出や感情までは、あまり語られていない気がします。
でも私は、今こそ語りたい。
この令和の時代に、ドクターマリオという名作の魅力を――
あえて、ちゃんと、言葉にしておきたいんです。
ドクターマリオと私(始まりと終わり)
私がドクターマリオを初めてプレイしたのは、Nintendo Switch Onlineのファミコン特典からでした。
「なんとなく」
「ちょっと試してみようかな」
そんな軽い気持ちで始めたはずなのに、気づけばどっぷり。
夢にまで出てくるし、1日一回はプレイしないと気が済まない。
それはもう、ちょっとした中毒でした。
でも不思議と、嫌な気分じゃなかったんです。
ただただ楽しくて、頭を使って、集中して、ちょっと悔しくて――
そしてまた「次はうまくやれるかも」と思わせてくれる。
その積み重ねが、気づけば生活の一部になっていたんですよね。
でも、あるときふと思ったんです。
「これ、どこまでいくんだろう?」って。
たとえばレベル20のHIスピードを楽々クリアできるようになったとして、じゃあその先には何があるんだろう?
終わりはあるのか。満足はあるのか。
――いや、終わりはきっと来ない。
そして私は、どこかで“卒業”する必要があるんだって。
だから、やめました。
少し勇気を出して、カプセルを置くのをやめました。
でも、それは“忘れる”こととは違います。
ドクターマリオは、私の記憶にしっかり刻まれています。
今でも、あのBGMが頭の中に流れることもあるし、聴けば反射的に手が動きそうになるはず。
それに、こうやって語っていると「またやりたいな」って、心が騒ぎます。
再発が怖い? もちろんです(笑)。
でもそれくらいに、私はこのゲームを本気で愛していたということなんですよね。
だからこそ、今こうして文章に残しています。
これは愛の記録です。
「どれだけ好きだったか」を、言葉として残しておきたかったんです。
もしこの文章を読んでくれているあなたが、
・ドクターマリオって名前しか知らない
・昔ちょっとやったことがあるけど忘れてた
・落ち物パズルは苦手で敬遠していた
そんな人だったなら、ちょっとだけでいいので、あらためて見つめてみてほしいです。
こんなに古くて、こんなにシンプルで、それなのにこんなにも人の心を惹きつけるゲームがあったことを。
私にとってのドクターマリオ
私にとってドクターマリオは、中毒だったし、癒しだったし、勝負でもあり、学びでもありました。
それは、ただの懐かしさではありません。
この令和の時代でも、しっかり輝きを放っている。
本物の名作は、いつの時代も色褪せないんです。
だから私は、今日も誰かにこう言いたい。
「ドクターマリオにはゲームの本質が詰まってる。やってみて、本当にすごいから」
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