鈴木亮平主演映画【エゴイスト】ネタバレなし感想

日本映画

☆エゴだっていいじゃない

 愛とエゴは普遍的なものだと思います。
愛するだけではなく、エゴがあるからこそ、両方あってやっと人間らしいような気がします。
それにエゴってそんなに悪いものじゃないと思うんですよね。
映画『エゴイスト』を見ていたら、余計にそう思いました。

※この記事はおじさんが愛とエゴにについて語り倒す記事です。

作品概要

  エゴイストは2022年の映画です。
原作は高山真たかやままこと氏による同名の自伝小説です。

 「母が死んで、『死にたい』と思っていた僕の何かは死んだ」。
14歳で母を亡くした浩輔こうすけは、同性愛者である本当の自分の姿を押し殺しながら過ごした思春期を経て、しがらみのない東京で開放感に満ちた日々を送っていた。
 そんなある日、パーソナルトレーナー龍太りゅうたと出会い2人は惹かれあうが……。

※本作品はR15+指定となっています。男性どうしの性的な描写がかなり多くありますので、視聴の際は注意してください。

上映時間は2時間です。

感想

 たとえそれがエゴだったとしても、受け取る側が愛だと感じるならばそれでいい。

松永大司 (Director). (2022). エゴイスト [Film]. 東京テアトル

愛とエゴ

 浩輔こうすけは本当の愛を知らないと感じているようでした。
私から見れば、浩輔は人をまっとうに、まっすぐ人を愛しているように見えましたが、彼自身はそうとは思っていないようです。
浩輔にとってそれは、(映画のタイトルのとおり)自分のエゴだと感じているように見えました。

 自分の愛がエゴなんじゃないか、と感じてしまうのは、多くの人が経験する感情だと思います。
愛する気持ちの中にある「相手に自分を受け入れてほしい」「自分の思い通りにしたい」といった欲求を、過剰に自己批判してしまうとそれがエゴに感じるのだと思います。

 浩輔の、その思いと格闘しながらも誰かを大切に思う気持ちは真摯で美しく、その姿に共感できたのも、その誠実さがしっかりと伝わってきたからだと思います。

「普通」の価値観に苦しむ

 浩輔こうすけが自分の愛に「エゴ」を感じるのは、社会的な偏見や、自分自身の中にある葛藤(彼自身の過去や、相手との関係性など)といった、さまざななことが要因になっているようでした。

 悪気はなくとも浩輔のように結婚適齢期の男性であればだれでも結婚や恋人の有無を聞かれます。
しかも浩輔は社会的成功も収めているうえに長身の超イケメンですから。
しかし、そんな社会的に「普通」とされる価値観で、結婚や恋人の有無を問われることは、悪気がなくても時に鋭い刃のように刺さることがあります。
そのプレッシャーの中で、自分自身の愛の形が「本物ではない」と感じるのは、とても切なく、共感を呼ぶ部分だと思います。

愛への渇望

 浩輔こうすけが中学生の時に母親を亡くたという背景が、彼の愛に対する飢えや渇望感をより鮮明にしているようでした。
母親という存在が一般的に無償の愛の象徴とされることを考えると、その喪失感が彼の中に深い空白を生み出し、それを埋めるように愛を求めるように見えたのも自然なことかもしれません。

 でも浩輔自身はその空白(愛に対する飢えや愛の喪失感)を自覚し、それを埋めようとする自分の行動を「エゴ」と捉えてしまいます。
そんな浩輔の姿からは切実さや悲しみ感じます。

 浩輔の「エゴ」に対する苦しみは、彼が自分の気持ちと徹底的に向き合っているからこそ生まれるものです。
そんな中で、浩輔が誰かを愛そうとするその行為は、私にはとても純粋で美しいものに感じられました。

ネガティブな共感

 浩輔こうすけから、愛することの苦しさというネガティブな部分にばかり共感してしまいました。
愛することは良いことばかりではなく、それを失ったときに感じる絶望的な悲しさもセットになっています。

 龍太りゅうたは、浩輔から「本物の愛」を注がれ、自分も浩輔を本気で愛したからこそ、自分の生き方を変えることができたのだと思います。
しかしそれと同時にそれによる苦しみも味わいました。
龍太へ本物の愛を教えたのは浩輔です。
浩輔は自分の愛(自分のエゴ)によって龍太を苦しめ、龍太を不幸にしたと思っています。
そんな浩輔と龍太の関係性は、それでも美しく、しかしとても切ないものでした。
やがて彼らは私に「失うことへの苦しみ」というものも、重く伝えました。

 それでも浩輔が龍太に「本物の愛」を伝えたことで、龍太が自分の生き方を変えるきっかけを得たことは、間違いなく素晴らしいことだったと思います。
ただ、その結果、二人の愛は浩輔の心に耐え難い重荷を背負わせました。
その愛が純粋で大きいほど、彼自身にとっても耐えがたい苦しみになるというのは、愛の持つ二面性を如実に表しているようでした。
それは、愛することが持つ本質的な苦しさであり、人間関係の深みにある普遍的なテーマなのかもしれません。

愛の価値

 私自身、愛とエゴについてはよく悩みます。
ときに私の愛や情熱はマイナス方向に行っていたということもあったと思います。
でもそういうときって、愛と情熱自体が問題じゃなくて、相手の気持ちを考えていないことが問題なんですよね。
失敗するたびにそういうことを何となくですが、それでも確かに感じています。

 愛とエゴの間で揺れ動き、自分自身の不器用さや過ちに気づきながらも、それでも愛を注ごうとする姿勢は、きっと誰にとっても共通する経験だと思います。
さまざまな気づきは、成長には大切なプロセスです。
愛することって、常に正解があるわけじゃないと思うし、失敗を通じてしか分からないことも多いんですよね。
その失敗をどう受け止め、次にどう変わっていくかが、自分自身の愛の形を育んでいくんだと、改めて思い知らされました。

 『エゴイスト』は、そんな失敗や葛藤を抱える人に寄り添いながら、愛の素晴らしさと難しさを同時に描いています。
そしてこのように愛について考えさせられたことが、作品が持つ力が大きいことの証拠です。
愛するという行為は、時に相手を傷つけたり、自分を責めたりすることになるかもしれませんが、それでも「愛を注ぐ」という行為自体には価値があるはずです。

愛のカタチ

 浩輔こうすけは自分の中で、愛を表現する方法として、金銭的な支援を選んだわけですが、それが彼の心の中で抱えている孤独や愛されたかったという欲求と結びついていた可能性はかなり高いんじゃないかと思っています。
母親を亡くし、その喪失感から愛されることへの渇望が強くなった浩輔が、龍太や、龍太の母に対して援助を行うことで、何かしらの正当化を求めていたようにも思えました。
浩輔の行動は、単に相手に対する無償の愛から出たものというよりも、自分自身の内面から湧き上がる、愛されるべき存在だという承認を求めてのことだとも言えます。
ゲイというマイノリティの自分を受け入れてくれる場所や人を探していたとも解釈できますし、そう考えると、浩輔の愛の形には、自己肯定感や承認欲求が絡み合っているのかもしれません。

 そしてその欲求は、愛という見た目をしていても、龍太や龍太の母にとっては、最初は重荷に感じられる部分があったようでした。
それでも最終的には、その「エゴ」が受け入れられ、その後、浩輔が自分の愛を貫く決心をすることで、愛がどんどん深く、そして意味のあるものへと変わっていくのが、この作品の大きなテーマのようにも思えます。

 浩輔が金銭的な援助や生活の手助けを通して「愛されたい」という欲求を満たそうとしている様子に、共感できる部分がある一方で、その愛が最終的に「本物の愛」として成長していくところを見ると、愛やエゴの難しさをより一層感じます。

エゴだと分かっていても

 浩輔こうすけは恋人である龍太りゅうたとその母に愛を注ぎます。
浩輔は、龍太からも龍太の母からも一度それを拒絶されたものの、「自分のエゴだから」と彼らを説得し愛を注ぎ続けます。
しかしそれが、龍太をを追い詰め、結果として浩輔をさらに不幸にします。

 大きな悲しみの中で、自分の行動を全否定してしまうほどの自責の念。
そのとき龍太の母が「エゴであっても受け取る側が愛と感じられればそれでいい」と言った言葉は、浩輔だけでなく、見ている側にも深く響くメッセージでした。

 龍太とその母に愛を注ぎ続けた浩輔の姿は、自分の中で「エゴ」だと感じながらも、愛という行為を決して諦めない姿勢で、浩輔の人間としての誠実さがにじみ出ているように思えました。

 それが「エゴ」であっても、そこに本気で相手を思う気持ちがあれば、それがただの自己満足や自己中心的な行為ではなく、やがて「愛」として受け入れられる。
浩輔は「エゴであっても受け取る側が愛と感じられればそれでいい」という言葉に救われ、最後まで「エゴ」として自分の愛を貫き、愛を注ぐことを決心したことは、愛の多様性や複雑さを感じます。

 これにより浩輔は自分を少しで許すことができたのか、それとも、彼の中では愛とエゴが完全に切り離せないものとして、ずっと葛藤が残ったままなのか……。
いずれにしても、浩輔にとって愛の形をもう一度見つめ直す機会となったのは確かです。

愛ゆえのエゴ

 浩輔こうすけのエゴは「愛ゆえのエゴ」とも言えます。
浩輔の姿からは、「それでも愛することは素晴らしい」と感じられました。
それにエゴは人間として当然のことのようにも思えますから、愛とエゴが両方あってこそ人間、とも言えますよね。

 愛とエゴが対立するものではなく、むしろ共存するものとして描かれている点は、この映画の深いメッセージですよね。
エゴがあるからこそ、自分の感情に従って誰かを全力で愛し、相手のために行動する。
その行動が、たとえエゴから始まったとしても、相手にとって愛として伝わるのであれば、それは充分に価値がある。
浩輔がその象徴のように感じられます。

 浩輔の愛の行動は理想的です。
彼のように自分のエゴを受け入れながら、それでも相手に深い愛を注ぎ続けるというのは、簡単なことではありません。
愛することには苦しみも伴いますが、それでも人間らしく、素晴らしい行為だということを痛感しました。

 『エゴイスト』は愛することの素晴らしさと同時に、エゴについても肯定的に考えることで、自分の愛の形について考え直すきっかけになる作品だと思います。

愛するために

 何かを愛するためにはまず、自分を愛することから始めなければいけません。
自分を愛し、認めることができると、他人に与える愛も自然と深く、真摯なものになると思います。
自分自身の心が満たされていないと、他人に対して与える愛が、どこか「欲しいものを満たすための愛」になってしまうこともあるかもしれません。
ですから、まずは自分を豊かにし、自分の内面にしっかりとした愛情を育むことが、最も大切なステップだと言えます。
そして豊かになった自分の心の器から溢れた愛であれば、惜しみなく人に分け与えることができるはずです。

 自分を愛するとは、自分の弱さや不完全さを受け入れることでもあります。
自分の欠点や未熟さを認め、その上で自分を大切にすることが、他者に対しても自然な優しさや深い理解を生むと思います。
自分に優しくすることで、他人に対してもその優しさを分け与えることができるんですよね。

 自分を豊かにするというのは本当に大事なポイントです。
心が豊かであれば、他人に対しても無理なく愛や優しさを与えることができるし、その愛は見返りを求めずに与えられるものになりますから。


まとめとオススメ度

 主人公の斎藤浩輔さいとうこうすけを演じるのは鈴木亮平すずきりょうへいです。
鈴木亮平と言えば、役作りの丁寧さや真摯な姿勢、どんな役でも全身全霊で向き合うことで知られていて、特に今回のような繊細なテーマの作品では、その「本物感」が作品に深みを与えたように思えました。

 彼の演技はやっぱり素晴らしいですね。
どの作品でも役ごとに全く違う表情や雰囲気を見せてくれますが、本作でも例外ではありませんでした。
ちょっと偏見が入っているかもしれませんが、いわゆるゲイやオネエと呼ばれる人たちの”本物感”が鈴木亮平が演じる浩輔からは感じられました。
立ち振る舞いや雰囲気、声の抑揚やトーンが本当にリアルで、泣き崩れるような感情が爆発するシーンでは見ているこっちまで苦しさが伝わってきまて、本当に実在する人間として感じられたほどでした。

こうよう
こうよう

愛とエゴという普遍的なものを改めて考えてしまいました。

パン
パン

愛かエゴどっちっていう判断って重要?

 「エゴイスト」のオススメ度は★2.5です!(満点が★5.0です)
 前半部分でかなり長い時間、男性どうしの性的な交わりのシーンが流れます。
「男性どうしだから」とか「それに意味を感じない」ということもありませんが、ちょっと多すぎるように感じ、それが見る人を限定してしまうように思えました。
テーマ自体は「愛とエゴ」という普遍的なもので誰にでも当てはまるので、そういった描写に抵抗がない人にはぜひ視聴してほしいです。

こんな人にオススメ

・リアルなヒューマンドラマが見たい。

・俳優の演技が素晴らしい映画を見たい

・考えさせられるような映画が見たい

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