夢枕獏(著)【餓狼伝Ⅷ~Ⅹ】ネタバレなし感想「グイグイ引き込まれる」

小説

☆面白い本を探している人に向けた記事

 夢枕獏ゆめまくらばく(著)「餓狼伝がろうでんⅧ、Ⅷ餓狼伝Ⅸ、餓狼伝Ⅹ」を読みました。本書を読むかどうか迷っている人、次に読む小説を探している人は、この記事を参考にしていただけたらと思います。

作品概要

 餓狼伝がろうでん夢枕獏ゆめまくらばく氏により1985年より書き下ろされた格闘技小説です。
餓狼伝Ⅷが双葉社より1999年6月10日、餓狼伝Ⅸが2000年5月17日、餓狼伝Ⅹが2000年11月13日に発売されています。
 漫画化、映画化に加えゲーム化もされているメディアミックス作品でもあります。
板垣恵介いたがきけいすけ氏の作画による漫画版も有名で、私も少し読んだことがありますが、登場人物の設定や物語は若干違っていて、あくまで同小説を原作とした漫画といった感じです。

 「”あいつとこいつとはどちらが強いのか”執筆同時には存在しなかったリアルな格闘技小説が餓狼伝です。
著者である夢枕獏氏は、餓狼伝Ⅰのあとがきにそう書いています。
夢枕獏氏には本格的な格闘技経験はなく、格闘技の素人がどこまで人と人との戦いを書けるか、に挑戦したそうです。

 餓狼伝Ⅷでは、前巻以前より語られていた東洋プロレスと北辰館がそれぞれ主催する格闘技トーナメント開催に向けて物語が動いていきます。
そしていよいよ餓狼伝Ⅸで東洋プロレスが主催するトーナメント、餓狼伝Ⅹでは北辰館が主催するトーナメントが実施されます!

感想

最強対最強

 餓狼伝では常に”強さとは何か”をさまざまな視点や表現で描きながらそれを探し求めている。
最強の格闘技とは何か、最強の流派は何か、最強の人物は誰か…

 そこに、新たな最強として”システム”が登場する。
最強のシステムとは必勝のパターンや型であり、技術はそのパターンや型に入るために必要なだけに過ぎない、という考え方だ。
それはただ勝つためのシステムでもあり、相手に力を発揮させず、ルールの中でできる限りの一番効率的な方法で勝ちに行く。

 餓狼伝でいう最強とは、すべてにおいての最強、つまり、なんでもあり、の中での最強である。
”ルール”なんてものは、基本的にはない。
あるのはただ”素手で1対1で戦う”それだけだ。
そのなんでもありの中で”最強”は誰か(何か)、それを探し続けている。その餓狼伝の中で最強のシステムと呼ばれるものだ。

 競技として成立しているものは特にそうだが、例えば、柔道のルールでならば柔道家が最強、ボクシングのルールならばボクサーが最強となる。
ならば、”なんでもあり”というルール(なんでもありをルールとして呼んでよいのかはよく分からないけど…)ならば何の格闘技が最強なのか…
それも多分に漏れず、なんでもありというルールのもとに発展してきたそのシステムが最強、そういう理屈である。

 しかし、そういった理屈が通用するのかどうかは、やってみないと分からない。
餓狼伝には最強の人物(とその候補たちが)が何人もいる。
しかもその最強の人物たちはそのシステムの進化とは比べ物にならないスピードで進化し続けている。
さまざまなバックボーンを持つ”最強の人物”たちが、”最強のシステム”とどう対峙するのか。
期待は高まるばかりだ。

面白ければそれでいい

 餓狼伝Ⅷ、餓狼伝Ⅸ、餓狼伝Ⅹは格闘技トーナメントを描いている。
誰が出場し、誰と誰が戦って勝ち上がれば次は誰と誰が戦う、そして最終的には誰が優勝するか、普通はそれが主になってくるはずだ。

 しかし餓狼伝ではトーナメントで誰が誰に勝つとか、誰が優勝するとか、そういったことにまったく重きを置いていない。
トーナメントを行ったこと、それ自体や、さまざまな人たちがや組織がそれにより得たもの失ったもの、そして人や組織を含めた格闘技界の”これから”を重要視しているように思える。

 本来トーナメントとはこのルールの中では誰が一番なのか、それを決めるためにあるはず。
それなのに、まったくと言っていいほどそれを無視し、作中では出場者も主催者もメディアもファンも、まったく気にしている様子がない。

 それでいいのか…と一瞬疑問に思ったが、結局、面白ければそれでいい
作中の人物たちも同じように思っているみたいだし。

ロマン

 物語がどんどん広がっていく餓狼伝、舞台はよりグローバルな様相を呈してくる。
そのなかで日本の伝統的な武術や格闘技がどのような活躍を見せるか、期待が高まる

 世界に数多くある格闘技、海外発祥の格闘技はもちろんのこと、日本の武術をベースに海外で発展進化してきたもの、そういったものに日本古来より受け継がれてきた武術、日本で独自の進化を遂げた格闘技がどれだけ通用するか見ものだ。

 それに世界には数多くの猛者たちもいる。
その猛者たちに日本人がどのように挑み戦い、どのような姿を見せてくれるのか…
物語が進むにつれ、描く地域は広がりや人種も増えていく。
その大きく膨らむ規模と比例するようにワクワクした気持ちも膨らんでいく。

丹波の魅力

 丹波が登場せずとも話題は丹波のことになり、丹波が戦っていないのに丹波に繋がる(関係する)結果になる。
丹波の知らぬところで丹波の評価や期待値は上がり続け、挙句には丹波自身が自分自身にマイナスに感じていることでも、丹波以外の人物はそれをプラスに感じている始末。
丹波本人の意思は関係ない。周りはもう丹波の魅力に取り込まれていて、彼を常に気にし、期待している。
丹波を丹波本人以上に期待し、本人以上に信用している。
作中の登場人物たち(著者)がそうであるように、読者も同じ感覚になる不思議な魅力が丹波にはある。

 丹波を見ているとうらやましく思えてくる。
丹波は自由だ。丹波が背負うものは己自身のみである。
いかなる組織にも属さず、己自身のために戦う。
格闘家が持つ矜持もない。勝てばよいとまでは言わないが、勝つためにできる手段はすべて取る。
多くの人間は組織に属し、(自分と)自分以外の何かのために、いろいろなしがらみの中でもがきながら戦っている。
 丹波に関わった人物はみな口をそろえて丹波をうらやましいと言う。
そういった者たちからすれば、丹波がうらやましく感じるのも無理はない。

 しかしそれは諸刃の剣でもある。すべての責任は自分にあり、言い訳はできない。
丹波のそれは、強さになるが、相当の覚悟が必要になる。負けて残るものはなにもない。
丹波にしかできない生き方…すべての人たちが丹波に惹かれるのにはそういった、多くの人たちが持っていないものを持っている、多くの人たちがやれないことをやれる、そういう憧れから来るのかもしれない。

あとがき的なものとオススメ度

 餓狼伝Ⅷ、餓狼伝Ⅸ、餓狼伝Ⅹは餓狼伝に登場する2大組織、プロレスの東洋プロレスと空手の北辰館が主催するトーナメント編が描かれています。
そう捉えれば、餓狼伝Ⅷ~Ⅹはトーナメント編とも言えないこともなく、区切りはついています。
しかし、物語の主人公である丹波文七の物語としてみれば、すごく大きな岐路に立っているところで、次巻へ続いていきます。

 そしていつもどおり、餓狼伝Ⅷと餓狼伝Ⅸのあとがきで「あと二巻」と書かれていますが、餓狼伝Ⅹのあとがきではそれまで書かれていたことを反省するようなコメントが書かれていていました。

 毎回のように、たぶん、十年も前から、『餓狼伝』は、あと二巻です、あと二巻です
と言い続けてきたような気がするが、もう、どうにも、あと二巻という雰囲気じゃねえわな、これは。

~餓狼伝Ⅹあとがきより~

 なんだかとてもかわいいですね。(偉大な作家の大先生にこういってはいけないのかもしれませんが…)
10巻(外伝を含めると11巻)読んでいて、そのことに気づいていない読者はいないと思いますよ~。(笑)

 「餓狼伝Ⅷ~Ⅹ」のオススメ度は★4.0です!(満点が★5.0です)
 10冊読むとなると躊躇ちゅうちょするかもしれませんが、物語にグイグイ引き込まれてあっという間に読み終わります。感覚的には3巻で1巻分くらいです。ここまで外伝を合わせると合計11巻なので4巻くらいの気持ちで大丈夫です!(割とマジです!!)

こうよう
こうよう

外伝と含めると11巻ですが、まったく飽きないですし面白さも色褪せません!!

パン
パン

餓狼伝Ⅶまで読んでる人へのオススメ度は★5.0だね!

こんな人にオススメ

・格闘技に興味がある

・面白くて熱い小説が読みたい

・濃密な小説が読みたい

・完結していなくても構わない

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